Lightweight Language Lovers
JavaからRubyへ
図書館で何気なく『JavaからRubyへ ―マネージャのための実践移行ガイド』という本を見かけました。
途中、カヤックの話題が何回か出てくるので「もしかして」と思っていたらやはり、
このサイトでも何度か触れた『軽快なJava』と同じ作者ではありませんか。
このサイトでも何度かとりあげた『軽快なJava』は、
EJBに代表される「甘やかされた肥満児になってしまったJava」に、
DI、アスペクト思考などの新しい考え方、Spring、Hibernate等の新世代のフレームワークにより
「新鮮な酸素を供給」することによって、「健康を取り戻す」という内容でした。
本書からは、筆者のJavaに対する情熱、思い入れのようなものが感じられました。
それが、この『JavaからRubyへ』ではRubyに恋しているかのような変わりようです。
確かに私も「Javaは鯨打ち銃であり、身の回りにあるようなアプリケーションを狙うには重すぎる」
というのはそのとおりだと思います。
でも、Javaを長年教育し、コンサルティングし、書籍も何冊か執筆してきた筆者だけでなく、
Javaの世界で著名なビジョナリスト達も入れ込むほどのものなのでしょうか?
それにしても
何故、筆者やJavaの著明なが選択した言語が Pythonではなく Rubyなのでしょうか?
企業ユースを考えた場合、Javaのもたらす安心感は絶大なものがあると思います。
「IBMを選択してクビになったマネージャーはいない」という文章が出てきますが、
「これを選んでおけば間違いない」感、「エンタープライズにも十分耐えられる」感が強いのです。
くだけたコメントもあったりするRubyのリファレンスマニュアルとJavaの重厚な言語仕様書を比べると、
DNAの違いを感じます。
でも、 Javaでは日時を扱うのに、GregorianCalendarとSimpleDateFormatを使わないと「ビギナー」になってしまうのでしょうか?
COBOLではACCEPT文で数字項目として取得して単純に加工するだけでした。皆がそうだったので、それでも 「恥ずかしくなかった」のです。
でも、何故PythonではなくRubyなのでしょうか。 やはり日本人は「恥をかくことを恐れる」民族なのでしょうか?
私はアメリカ人の、しかもJAVAに関する書籍を何冊も執筆していたような筆者が、 英語圏ではない、自分達とは遠く離れた日本で生まれた1言語にこれほど評価するのを読んで、 日本の情報システム部門ももっと「自分達で考える」ことが必要ではないかと思いました。
情報部門を縮小・弱小化し続けてきた企業では、経営層が自分のところの情報部門より、
大手IT企業の部長クラスなんかの方を信用していることも多いのではないでしょうか?
やっかいなことに彼らは勉強していないわりにはアピールがうまく、
経営層はますます彼らに信頼を置くようになります。
「LLでお願いします」なんて言うと一笑に付されてしまいそうです。
私は日本のITが元気を取り戻すには、足腰の強い自営農を増やすこと、
ユーザー企業が情報システムを自分達の手に取り戻すことが必要なのではないかと考えています。
日本で37Signal社のような企業がどんどん出てくるためには、ユーザー企業が大手IT企業の言いなりになるのではなく、
リスクをとってベンチャー企業に発注できるようになることが大切なのではないかと感じています。